〇遠州祭囃子 葵会の歴史と系統
葵会は昭和51年菊川町の「旭テック内郷土芸能クラブ」が発祥です。横須賀生まれの田中興平氏が中心になり他16名でお囃子を習得。昭和53年会社から独立し、19名で大頭竜神社を拠点とし葵会が発足しました。昭和60年山車(屋台)の製作 昭和63年居囃子の製作。会員数も80人を超え、順調に発展し続けています。お囃子は、横須賀生まれの田中興平氏の師匠である三浦誠二氏の吹く笛で、柴田流を名乗っています。三浦氏から田中氏ヘ、元会長の中村学氏へと受け伝わり、会員皆、柴田流の笛を吹いています。
〇東遠州地方のお祭り
東遠州地方のお祭りは 「二輪車で御所車形式の屋台または江戸型山車を持ち、神田ばやしをルーツとする横須賀発祥のお囃子を使っている」ということで定義づけられます。地域的には、天竜川、大井川の間で、現代のような祭りが宿場町、東海道筋、城下町等で行なわるようになったのは、江戸時代後期からです。そして近年に入り、昭和40年代後期に第2次祭りブームが起き山間部のすみずみに迄祭り屋台が造られ、屋台を引き回す祭りが増加の一途を辿りました。屋台には、笛・太鼓のお囃子がつき物であり、お祭りを始めた地区では、挙って先進の地区にお囃子を習いに行きました。太鼓は比較的簡単に習得出来ますが、笛はなかなか難しく途中で止めてしまう人が多かったようです。そのような状況下において、祭りに笛吹きを派遣するという目的で出来たのが『祭囃子 遠州葵会』でした。
〇東遠州地方のお囃子、笛吹きとは
東遠州地方のお囃子は「江戸中期、横須賀城主の城変えで江戸より赴任してきた家来が横須賀の町民に教えた」のが始まりと言われています。このお囃子は神田囃子の元になったものと同じと思われます。かなり難しく1年365日休まず練習しようやく1曲聞いてもらえるという程度です。この様に苦労して笛を覚えたものが、各地区の祭りに笛吹きとして出向いて行きます。横須賀・森・掛川では50年程前より笛吹きの会が発足しています。会所属の笛吹きは千人程で、会に入っていない者も含めると2千人程度はいると思われます。